Enoshima Baby!!
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■ web連載小説 江ノ島ベイビィ● 第1回

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 出したついでに、メールが届いていないかチェックする。新しいメールが届いていれば折り畳んだ状態でも「NewMail」と画面に表示されるので分かるのだけれど、うかつな操作をしてしまって見落とした可能性もあるかもしれない、と、小さな希望にすがって郵便受けをチェックした。新しいメールは来ていなかった。
 今日もまた、なし。
 うかつな操作をして……などとこじつけて、みっともないことをしたと、情けなくなった。次いで、半ば自虐的な気持ちになった。それで、送信済みメール一覧の方を見てみた。ボクが送ったメールが沢山入っていた。ボクの携帯から送られたメールが入る箱なので、ボク以外の人が送ったメールが入っていたら問題だけれど、「はろー」とか、「どうよ?」とか、「あはは」とか、空回りの言葉が幾つもタイトルとして並んでいて、重い苦笑いで顔面が歪んでしまう。
 嫌な気分になってきたので、携帯をしまった。脳の前の方が気持ち悪い。
 こじつけた、みっともないことをした、情けなくなった。
 脳の前の方、きっと前頭葉、その辺りが気味の悪いインクで染めあげられていく。澄んだ水の中に垂らしたボールペンの、乳幼児の甘い匂いを思い起こさせる黒色をした、あのインクが、トラックにぶつかって吹っ飛んだ我が子を求めて道路に飛び出しダンプに轢き潰された母親が、数メートル先に投げ出されている我が子の遺体へとあきらめきれずに手を伸ばすような粘りを持った、あのインクが、水の純度によじれて丸まりながら溶けて姿を無くし、澄み渡る視界を濁らせて行く。
 汚れたら洗わないとキレイになない。蛍光漂白剤入りの洗剤を泡立てて、脳みそをブレインウォッシング(英語でブレインウォッシングは洗脳の意味)しなければならない。それで染み付いたインクがちゃんと落ちてくれるのか、分からないけれど、前向きな考えで汚れが落ちるように努力をしなくてはならない。今までもそうして、ボクは自分の脳みそに修正パッチ(プログラムの不具合を修正するための追加プログラム)をあてて来て、ボクの思考は上書きされ、常に新しい自分になってきた。自分探しなんて愚かなことはしてはいけません。自分とは「あるがままの自分」のことであり、常に自分というものは変わりゆくものなのです。生きている限り細胞は新陳代謝していて、それはつまり、三分前の自分は、もう今の自分ではなく、十分後の自分は今の自分ではない。だから今の自分は殺していい。首を絞めたら殺せるかな? 死ねるかな? 死んだら次の人生はもっとマトモかな? 死んだら今の時間が実は眠っている時に見ている夢で、本当のボクが生きている時間まで戻ってやり直せるかな? 死んで自分の人生のどこかの時点まで魂が戻れるのなら、今すぐこの首の血管と気道を締めて、更にひねってニワトリの首をねじきるようにボクの頭をねじ切りたい。そして切れた首の血管からボールペンのインクが抜けて行き、ボクの頭は今年の四月……いや三月あたりにしておこう。そこまで時間をさかのぼって、そこにいるバカなボクの体にすげかわり、あの失敗の連続の日々をやり直すのだ。その日のボクの頭は中身がバカそのものだから別に要らないので、腐って嫌な匂いがしても平気なように、ゴキブリとかたからないように、スーパーのビニール袋に入れてしっかりと口を結び、ゴミ収集車に持って行ってもらおう。いつでもお前は調子に乗り過ぎなんだ。お前さえいなければ、こんなことにならなかった。お前さえいなければ、こんな気持ちもありえなかった。お 前 さ え い な け れ ば。
 水が必要だろう。大量の水でボクの前頭葉を、そうめんを流水にさらすようにさらさなくては、キレイになれない。ポケットの中で携帯をボクの手が握りしめている。指に力が入りすぎている。コラっ、この指の筋肉、ダメじゃないか、コラっ。叱りながら、ボクはきっと変な笑顔を浮かべている。足は止まっている。動けなくなっている。ボクの握力なら握りつぶすことはないと思うけど、手を放さないと何か間違ってボタンを加圧限界まで押し込んで壊れてしまうかもれない。そうなったらメールが来ても、分かんなくなってしまう。コラっ、ボクの手、ボクの指、ダメだ、今すぐ携帯を放せ、コラっ。今すぐ携帯から手を離せ。念じても指は離れてくれない。
 水が必要なことは間違いがない。水が必要だ。どうしても必要だ。二酸化炭素による温暖化で水分が足りない水の惑星、地球だから、ボク個人の脳みそ……前頭葉のために使っていい水なんてないのかもしれない。染み込んだインクを洗い流してくれる大量の水。節水の折、永遠に続く水。寄せては返す海。大音量の揺らぎのノイズを生み出す水。涙は水分を多く含むけれど、それではボクの前頭葉のために必要な水分をまかなえない。第一、どこかに泣きたい気分があるだけでは、ボクの目から涙は流れてくれない。



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